【回答9】話べたを治したい

話べたを治したいなってそのとき真剣に思ったので、そのやりかたを教えてください。

人とのコミュニケーション、普通に考えて非常に大事だわ。だって人と接することなく生きていけないものね。コンビニエンスストアでビーフジャーキー買う時に応対してくれる店員まで気にしたりはしないけど、せめて毎日会う職場の人とは、円滑にコミュニケーションとっていきたいわよね。
今までは、あまり気にしていなかったんでしょう?だって、お話って苦手なんですもの。相手の苦々しい顔見るくらいなら、もうはなからそういうの捨てて、心もビジネスカジュアル決めて、生きてもいいのよ。でも、そうやって忌避してきたことに、もしかしてとても大事なことがあるのでは?って怖くなったのね。わかるわー。

正直、アマゾンのタイムセールを気にしていた方がいいわよ。苦手なものは一生苦手でいいと思うし、あと得たからっていいもんじゃないかもよ。

そもそも、なんで人と話すのは怖いのか。それは、「話して相手をがっかりさせてしまうのではないか」という怯えに起因するんじゃないかしら。気にしたがりなのよ。もっと細かく言ってしまうと、「カテゴリがちがう人相手の共通言語を持たない」ってことでもあるし、「相手を信用していない」ってことでもあるかしらね。
人って、細かくカテゴリ分けして生きているわ。私だって、会社の時の私、同級生と会う時の私、同人誌即売会の会場での私、友達といる時の私、メインジャンルにいる時の私、デレマス4thライブでの私、藤本里奈プロデューサーとしての私、家族と一緒の私。どれも違う私よ。
デレマス4thライブの私と、藤本里奈Pとしての私、似ているけど決して被ってはいないのよ。ライブの参加者として、他のPたちと一緒に目一杯サイリウム振ってる私と、藤本にもう一回なんぞのユニットに参加してソロの部分を八小節ばかりどうか、なんならCDデビューを……!と願う私とは、そもそものスタンスが違うのよね。
同人誌即売会会場にいる時の私と、メインジャンルの私も違うわ。メインジャンルの私は、そうね、孤独だけど投げやりじゃないのよ。
ツイッターの私っていうのは、無よ。無なの。何も生まない。ハート飛ばしてリツイートばかりしているのね。もっとなんかやれることあんじゃないの?
そういうカテゴリの中には「しょうがなく属している」のもあるわ。そこでは、いちいち作るようなもんじゃないと思って、他のジャンルで使ってる「私」を適当に持ち合わせてやっつけで済ませているのよ。持ち合わせてなんとか一番いい面を見せようとするカテゴリ(※メインジャンルにおける私)の真逆よね。
それが、まあ運がいいことに長々とそこで過ごすようになって、6年くらい。
出会った人との会話がうまくいかないのって、こういうことなんじゃないかしら?つまり、私の中でもとびきりどうでもよくて、寄せ集めの私で、そのカテゴリの知識をろくすっぽ持ってないから、それこそ言語が通じていないんだけど、いよいよ必要性を感じてきた、という。

どうにかするにはやっぱり覚悟を決めることよ。仕事を6年続けているのにまだ腰掛けのつもりだからよ!まあ「今の仕事いつ辞めてやろうかと思っている」ってのはまた別の問題だけど、やっぱり本気でやることでみえてくるものってあるわ。新しい世界が見たいなら、頑張ってみたら?(結局それで、「今日牛肉買うんだー」とか、そういう話題をするようになることがいいことかどうかは別の話ということで)

次の質問はもうちょっと深めて、「休日に何してるのが普通なの?」で。
今日はもう一つ、この前遠くにトスしてしまった進捗の話もあるから、それは別記事にするわ!